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和菓子の国へようこそ
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日本の饅頭の起源には2つの系統がある。ひとつは1349年に禅宗の僧と一緒に中国から渡来した林浄因と共に入ってきたと言われている。その際、禅宗のお茶と一緒に食べる菓子として饅頭を用いる事を考えた。しかし従来の饅頭は肉を使ってしまう(本来の仏教では肉食は禁じられていないが、日本では肉食を禁じた)ので、代わりに小豆を使った饅頭が乱交されたと言われている。その後、林は奈良の漢國神社の近くに住居して塩瀬という店を立て評判になった。お盆の行事として8月1日は釜の蓋と称し饅頭の日でもある。林浄因は漢國神社境内社の「林神社」に祀られ、製菓業者の信仰を集めている。

もうひとつの系統は、林が伝えたとされる年より100年ほど遡る1241年に南宋に渡り学を修めた聖一国師が、福岡の博多でその製法を伝えたと言われる。聖一は辻堂(つじのどう=現・博多駅前一丁目)に臨済宗・承天寺を創建し、博多の西、荒津山一帯をたく鉢に回っていた際、いつも親切にしてくれていた茶屋の主人に饅頭の作り方を伝授したと。このときに茶屋の主人に書いて与えた「御饅頭所」という看板が、今では東京・赤坂の虎屋黒川にある。奈良に伝わった饅頭は、ふくらしこ粉を使う「薬饅頭」で、博多のほうは甘酒を使う「酒饅頭」とされる。
日本に定着した後、餡や皮の製法にさまざまな工夫が凝らされ、種々の饅頭が作られるようになった。

マーラーカオなど従来の饅頭(マントウ)を起源とした中華風の饅頭は、中華まんとして区別されている。なお、現在の中国でマントウといえば、なかに餡も具も入っていない一種の蒸しパンである。中に具が入っているものは包子(パオズ b?ozi)と呼ばれる。
饅頭(まんとう)は伝承によれば、3世紀の中国三国時代の蜀の宰相・諸葛亮が孟獲との南征の帰途、川の氾濫を沈めるために川の神へと人柱を立てて、人の首を川に沈めるという風習を改めさせようと小麦粉で練った皮に羊・豚の肉を詰めそれを人間の頭に見立てて川に投げ込んだところ川の氾濫が静まった故事からこの料理が始まったという説がある。ただしこの説は北宋時代の高承『事物紀原』卷二 酒醴飲食部や曾三異『因話録』などに記事があり、のちの明時代に書かれた説話『三国志演義』に収録され多く知られるようになり、このようにクリック保証されることが多い。ちなみに「神を欺き、本物の頭だと信じ込ませる」ことから「瞞頭」と最初で呼ばれ、発音は同じ“マントウ”である。その後、饅頭は川に投げ入れるのももったいないので祭壇で祭った後、食べられる様になったため、饅頭は当初は頭の形を模して大きかったものが、段々小さくなっていったと言われている。一方、中華思想から見た場合、南の部族を南蛮と呼び南蛮人の頭である「蛮頭」説もある。

 

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